2008.05.31 Sat
デザインって何だろう。自分ってなんだろう。
デザインって何だろう。今日の講義で、そんな話題が上りました。
デザインか、アートか、なんて今まで考えたことも無かったのが現実。
中学までは、アートもデザインもなんら区別がつかなかったし、高校の時もあやふやで、今でも明確な答えなんて無い。
ただ、分かっていたことは、画材や紙や媒体で、それが決まるんじゃないってことだ。
じゃ、なんなんだ。
先生の言葉を要約すると、「アートは我が身のため。デザインは他人のため。」につくるものだという話だった。
昔から、アートとデザインの分け方として説明を受けると、こう帰ってくる。
壁にぶち当たってしまったと思った。
確かに、デザインとはいつも誰かのために行うもの、しかし、私にとってはそれが自分のためでもある。
理屈っぽいかもしれない、でもそうだから仕方ない。
何かを学ぶたびに世界が広がるが、同時に不安にもなる。
やりたいことが揺らぐ。
講義を聞いていると、私は本当にデザインだけがやりたいのかな、とも思った。
もともと憧れていた世界は、イラストレーション業界だった。
けれど、本当は通過点にしか過ぎなくて、(表に出すと叶わないような気がするので伏せますが)大きな夢ってのは私にも有ります。
ただ、漠然としすぎて、叶わないことを思い続けているだけかもしれない。
画家になりたいとは思ったことはありません。
やりたいことをやっていった結果に、個展とか展覧会というものが枝の先にあってもいいかなと思っている程度です。
しかし、今のままではそれもままなりません。
自分が見つからない、ということが今一番不安です。
課題もそうですが、個性を求められ始めているのは事実です。
最近よく言われるのは、「どこかでみたような絵」「うーん(いまいち)」。
私は絵を描く練習法として、模倣が大事だと思ってきました。
西洋美術でも日本美術でも模倣をして、画家としての技術を会得している人々が多くいます。(全員ではないですが)
しかし、なんとなく引っかかっていたのは、技術は盗めるが、個性は無いということだ。
個性って何だ!
絵が下手なことでも上手いことでも無い、世界中探しても私にしか無い魅力ってなんだ。
かわいいとか、カッコいいとかで終わらない魅力って・・・?
以前よりもより多くのことに興味を持つようになったと思う。
進歩はしている、けれど見つからない。
盛大に人に嫌われてから、自分を出すことにとても躊躇いがある。
眠っている自分の魅力は、これが原因で出て来れないのかもしれない。
自分の魅力を問われたとき、なんて表現していいか分からなくなる。
嫌いだと言われたのは、直接じゃなく、質の悪い噂と無視と悪戯書きだった。
いつか、彼女らにちゃんと認めてもらいたいし、対等に見てほしいと思う。
一度、同窓会で会う機会が有りましたが、目を見てもらえませんでした。
話せるようになったのは、進歩と思いますが。(まあお互い大人になったということで)
多分許しはしないと思う。これからもずっと傷はついたままだから。
話はそれましたが、自分を出すという恐怖感は誰しも有ると思います。
気付いているかどうかは別として。善し悪しもあるし。
個性って、誰かに認めてもらえて初めて自分の意識に確立するものだと思う。
自然体を受け入れてもらえない現代に生きるって本当に難しい。
でも、下克上の精神で、水面下から這い上がっていこうと思います。
デザインか、アートか、なんて今まで考えたことも無かったのが現実。
中学までは、アートもデザインもなんら区別がつかなかったし、高校の時もあやふやで、今でも明確な答えなんて無い。
ただ、分かっていたことは、画材や紙や媒体で、それが決まるんじゃないってことだ。
じゃ、なんなんだ。
先生の言葉を要約すると、「アートは我が身のため。デザインは他人のため。」につくるものだという話だった。
昔から、アートとデザインの分け方として説明を受けると、こう帰ってくる。
壁にぶち当たってしまったと思った。
確かに、デザインとはいつも誰かのために行うもの、しかし、私にとってはそれが自分のためでもある。
理屈っぽいかもしれない、でもそうだから仕方ない。
何かを学ぶたびに世界が広がるが、同時に不安にもなる。
やりたいことが揺らぐ。
講義を聞いていると、私は本当にデザインだけがやりたいのかな、とも思った。
もともと憧れていた世界は、イラストレーション業界だった。
けれど、本当は通過点にしか過ぎなくて、(表に出すと叶わないような気がするので伏せますが)大きな夢ってのは私にも有ります。
ただ、漠然としすぎて、叶わないことを思い続けているだけかもしれない。
画家になりたいとは思ったことはありません。
やりたいことをやっていった結果に、個展とか展覧会というものが枝の先にあってもいいかなと思っている程度です。
しかし、今のままではそれもままなりません。
自分が見つからない、ということが今一番不安です。
課題もそうですが、個性を求められ始めているのは事実です。
最近よく言われるのは、「どこかでみたような絵」「うーん(いまいち)」。
私は絵を描く練習法として、模倣が大事だと思ってきました。
西洋美術でも日本美術でも模倣をして、画家としての技術を会得している人々が多くいます。(全員ではないですが)
しかし、なんとなく引っかかっていたのは、技術は盗めるが、個性は無いということだ。
個性って何だ!
絵が下手なことでも上手いことでも無い、世界中探しても私にしか無い魅力ってなんだ。
かわいいとか、カッコいいとかで終わらない魅力って・・・?
以前よりもより多くのことに興味を持つようになったと思う。
進歩はしている、けれど見つからない。
盛大に人に嫌われてから、自分を出すことにとても躊躇いがある。
眠っている自分の魅力は、これが原因で出て来れないのかもしれない。
自分の魅力を問われたとき、なんて表現していいか分からなくなる。
嫌いだと言われたのは、直接じゃなく、質の悪い噂と無視と悪戯書きだった。
いつか、彼女らにちゃんと認めてもらいたいし、対等に見てほしいと思う。
一度、同窓会で会う機会が有りましたが、目を見てもらえませんでした。
話せるようになったのは、進歩と思いますが。(まあお互い大人になったということで)
多分許しはしないと思う。これからもずっと傷はついたままだから。
話はそれましたが、自分を出すという恐怖感は誰しも有ると思います。
気付いているかどうかは別として。善し悪しもあるし。
個性って、誰かに認めてもらえて初めて自分の意識に確立するものだと思う。
自然体を受け入れてもらえない現代に生きるって本当に難しい。
でも、下克上の精神で、水面下から這い上がっていこうと思います。
| メンタル | 01:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑


はじめまして〜
Abbyと申します。

フォトショCS3の新機能をいろいろ検索していたら、たまたまこのブログがヒットしましたのでお邪魔します
わたしは大阪でデザイナーをしています。
この記事を拝見して、まるでわたしの学生時代を見ているようで
思わず胸がきゅんとしてしまいました。
霄さんは学生さんのようですね(あってます?)。
卒業して独立したり、あるいは組織で働いたり、とにかく社会人になれば嫌でも答えが見つかるときが来ると思います。
それまでは、思う存分考えたり、悩んだり、それでいいと思います。
結果を出すことより、考えたり悩んだりすることそのものに意味があると思います。
偉そうなことを書いてしまいましたが、応援しておりますので、がんばってくださいね
| Abby | 2008/07/04 11:50 | URL | ≫ EDIT